日曜教学事始め

お釈迦さまや世親さま、親鸞さまのことなど

ちまちま書いているもの⑦

論蔵の誕生

 

 先ほども触れましたが、パーリ仏典は「律蔵」「経蔵」「論蔵」の三つから成る「三蔵」という構成をとっております。また、インドから中国に仏教が伝わる過程で、古い経典も新しい経典も一気に伝わって翻訳されたものですから、全てを収録した仏典という意味で「一切経」あるいは「大蔵経」と呼ばれておりますが、例えば『西遊記』のモデルで有名な仏典翻訳で活躍をした玄奘が「三蔵法師」と呼ばれたように、仏典は「三蔵」から成るという認識は、仏教が伝わった世界では広く定着しているようにも思います。

 「三蔵」のうち、「律蔵」と「経蔵」については、結集伝承がありますから、その成立については比較的イメージがしやすいのではないでしょうか。再確認を致しますと、ブッダがお亡くなりになって後に、マハーカッサパ摩訶迦葉)尊者が中心となって五百人の阿羅漢果を得た仏弟子が集まり、戒律についてはウパーリ(優婆離)尊者、ブッダの説いた法についてはアーナンダ(阿難)尊者が中心となって、共に誦することでまとめられたというものです。

 それでは「論蔵」は如何でしょうか。私もそうですが「いつの間にか出来上がっていた」というぐらいのイメージを持っておられるのではないでしょうか。けれども、実際に調べてみると、とても面白いことが判明します。

 大前提として、もともとブッダの教えが文字で記録されるのは、その死後五百年ほど経過してからになります。その間、ブッダの教えは口頭で伝えられ、記憶されました。それにしても、膨大な量になるブッダの説法を、仏弟子たちはどのようにして記憶したのでしょうか。何か、そこにはテクニックがあったのでしょうか。

 テクニックとして考えられるのは、大きく二つの方法です。一つは、バラバラで覚えるのではなく、共通の主題、例えば「バラモンについて」などでまとめる方法です。こうしてテーマごとにまとめられた経典が『相応部(サンユッタ・ニカーヤ)』です。もう一つは、受験勉強の歴史の年代暗記にも通じるところがありますが、出て来る数字でまとめる方法です。例えば「一」や「二」など、教えに出て来る数字(法数)でまとめられた経典が『増支部(アングッタラ・ニカーヤ)』です。なお、この数字でまとめるという方法は、ヴェーダ文献などにもみられる、インドで広く用いられた方法の模様です。

 仏教教団では、こうした教えのテーマや法数をまとめたリストを、どうやら部派(グループ)ごとに持っていた模様です。このリストは「論母」、パーリ語で「マーティカー」、サンスクリット語で「マートリカー」と呼ばれています。パーリ仏典『論蔵』に収録された、最古の文献とされる「法集論」を確認すると、冒頭に「論母」として、まるで研究書の索引が如く項目名がズラズラっと並んでおります。その項目一つ一つに対して、本論ではどういう内容なのかを言及しているのです。なお、この「論母」が収録された「法集論」自体は後世の成立であると認められておりますが、テーラワーダ上座部大寺派)の教学の基礎を作ったブッダゴーサ長老(五世紀)は、この「論母」をブッダより与えられたものと見做していたそうです。

 どうやら、この「論母」が、その字が示すが如く、後に「論蔵」の母体となった模様です。その証拠として挙げられるのが、仏教教団のなかに「持律者」「持法者」とともに「持論母者」が挙げられていることです。この「持論母者」が、「論」を意味する「阿毘達磨(アビダルマ)」と言い換えられている事例があるとのことです。

 たとえば、説一切有部(サルヴァスティヴァーディン)という独特の教義学を大成した部派(グループ)があります。彼らの教義学は、後に天親菩薩によって『阿毘達磨倶舎論(アビダルマコーシャバーシャ)』にまとめられ、特に東アジア仏教圏における仏教の基礎学としての役割を果たします。彼らが伝承した「律蔵」である『根本説一切有部律』には、経と律の編纂を終えて後に、マハーカッサパが三十七道品、四無畏、四無礙解、四沙門果など、様々な法数でまとめられた論母を説き、それを聞いた仏弟子たちが「『阿毘達磨(アビダルマ)』が説かれた」と声を発したいう記述があるそうです。ここでは「論母」が「論」と同一に見做されていること、「論母」が結集伝説と結びつけられていることなどが注目されます。

 この「三十七道品」は『ブッダ最後の旅』にも出て来る、仏教の修行をまとめたものですが、その一部分は皆さんも耳にしたことがあるかもしれません。法事などでよく読誦される『阿弥陀経』には浄土の鳥の鳴き声として「五根・五力・七菩提分・八正道分」が出てきますが、これは「三十七道品」の一部になります。この前に「四念住・四正断・四神足」が加わり「三十七道品」を構成するのです。

 それぞれの法数および項目は、勿論バラバラに存在しているわけではなく、相互に関係しております。イギリスのルパート・ゲシン先生は、この項目ごとの相関図について「ダルマの地図」と呼んでおり、この「ダルマの地図」に基づいて出家者の瞑想がおこなわれたのではないかという興味深い説を立てておられます。

 また「論母」が「論」に展開する上で、大変興味深いご指摘がアビダルマ教義学の世界的権威であった櫻部建先生(一九二五年―二〇一二年)によってなされております。櫻部先生によれば、説一切有部が「五位七十五法」で構成される存在(=法、ダルマ)のリストとその相互関係(=縁)を明らかにした端緒は、ブッダの教説の根幹である「諸行無常」と「諸法無我」との相違であったという仮説を立てております。言い換えれば「諸『行』無常」は何故「諸『法』無常」ではないのか、「諸行」と「諸法」の違いは何なのか、ということです。そこから「無我であっても無常ではない存在があり、それは『法』ではあっても『行』ではない」と発展して、「無為法」を発見するに至ったというものです。

 この「無為法」を発見は、因果関係によって支配される「有為法」によって構成されたこの世界の分析を可能にする画期的なものでした。しかし、それは「有為法」によって構成されたこの世界「世間」と、「無為法」によるさとりの世界「出世間」との間に、分かち難い断絶を見出すことでもありました。この断絶を克服するべく、やがて登場するのがナーガールジュナになります。

 

 なお、この「論」がブッダに由来するものという点については、いくつか面白い伝承がありますのでご紹介します。皆さんはブッダの「八大聖地」について耳にしたことはありますでしょうか。ブッダの「四大聖地」は①ルンビニー(誕生の地)②ブッダガヤ(成道の地)③サールナート初転法輪の地)④クシナガラ(涅槃の地)ですが、それに⑤ラージャグリハ(布教の地、王舎城)⑥サヘート・マヘート(祇園精舎)⑦ヴァイシャリ(最後の旅の地)⑧サンカーシャ(昇天の地)の四つを加えたものです。このうち、①から⑦までは史実に基づいた場所ですが、何故か伝承の上での出来事に基づく⑧が加わっております。

 この昇天の伝承の内容は、五世紀にスリランカで活躍されたブッダゴーサ長老によれば「ブッダ祇園精舎から三十三天(忉利天)に昇って、生後七日目にして生き別れた生母マーヤー夫人などに説法し、三道宝階という階段にてサンカーシャの地に戻り、サーリプッタに説法の内容を伝え、サーリプッタも自身の弟子に説いた」というものです。実は、この三十三天でおこなった説法こそが「論(アビダンマ)」であるというのです。これは、「『論』は仏説である」という立場を補強するために用いられたと思われます。