日曜教学事始め

お釈迦さまや世親さま、親鸞さまのことなど

ちまちま書いているもの⑤

四聖諦について

 さて、これから「ブッダのさとり」言い換えれば「ブッダは何に目覚めたのか」という点について確認をしておきたいと思います。このことは、非常に根本的な事柄ですので、全ての仏教徒が共有出来ていないとおかしい事項のようにも思われます。けれども、実は古い仏典のなかでも、いくつかの伝承が併存しているのです。ただし、岩波新書『初期仏教』の執筆で知られる馬場紀寿先生によれば①「三明を得て、四聖諦を認識してブッダになる」という伝承と②「縁起法を知ってブッダになる」という伝承の二つに分けられ、伝承①から伝承②へと時代を追って変化していく模様です。よって、以下では「四聖諦」と「縁起法」に絞って、確認をしておきたいと思います。

 以前、別の場所でも書きましたが[i]、私が最初に仏教とご縁を戴いたのは二十六歳(二〇〇八年)のことです。それまでは、全く仏教の「ぶっ」の字も知りませんでした。勤めていた財団が仏教の学校を運営していたこともあり、そこで教えておられた先生が、授業の後で財団事務局までやってきて、職員に授業をして下さいました。忘れもしませんが、仏教学の授業で最初に習ったのは「四諦」でした。ホワイトボードに大きく「苦諦」「集諦」「滅諦」「道諦(八正道)」と書かれていたのを良く覚えております。この「四諦」は「四聖諦」とも呼ばれ、ブッダの説かれた教えの根幹をなすものとして、宗派を問わず、広く共有されているはずです。

 青年ゴータマはウルヴェーラ村(現ブッダガヤ)のピッパラ樹(後の菩提樹)の下で仏道を成就し、ブッダ(目覚めた人)となった後で、ムリガダーヴァ(鹿野園、現サールナート)に移動して、かつて苦行をともにした五人の出家者(五比丘)に初めての説法をおこないました。この初めての説法を「初転法輪」といいます。「初転法輪」は「初めて法輪を転じる」ということで、ブッダの説法の事を「法輪を転じる」と表現します。この「法輪」は仏教のシンボルとして世界中で共通のものになりますので、皆さんも目にしたことがあるかもしれません。大乗仏教圏ですと八つの輻(スポーク)からなる輪が一般的ですが、スリランカなどのテーラワーダ仏教圏ですと輻の数が二十四に増える輪が一般的になります。これは、「チャクラム(円月輪)という転輪聖王の武器をモチーフとした」など、様々な説がありますが、戦車の車輪をモチーフにしているとも伝えられます。私たちの煩悩まみれの心を征服すべく駆動しているわけです。

 余談ですが、ヒンドゥー教の国であるインドの国旗の真ん中には、何故か法輪がマークとして入っております。国旗制定の際に、ブッダ初転法輪の地であるサールナートから出土した法輪を入れようと提案したのが、インドの被差別民(ダリット)の出身で苦学の末に法務大臣にまで登り詰め、死の直前にヒンドゥー教から仏教に改宗することでインドにおける仏教復興の道を切り開いたアンベードカル博士(一八九一年-一九五六年)です。

初転法輪の説法の内容は「初転法輪経」など、様々な経典で語られますが、最初に「中道」について説き、続いて「四聖諦」と「八正道」について説かれたと伝わっております。「中道」は、後世になって意味が大きく展開しますが、成立が古いとされる仏典を確認しますと愛欲を貪る「快楽主義」と自らに苦行を課す「苦行主義」といった極端な二つの道を離れることが涅槃に至る道だとされています。ブッダの伝記である「仏伝」のなかには、若き日のゴータマは快楽に身を委ねたという記述もあり、また王子である身分を捨て出家した後には厳しい苦行をおこなったことは良く知られております。ブッダが最初に中道を説かれたのは、自身の体験を踏まえたからに相違ありません。

 さて、肝心の「四聖諦」ですが、先ほどお伝えしました通り「苦諦」「集諦」「滅諦」「道諦」の四つから成ります。「諦」というと、日本語では「あきらめる」というネガティブな意味合いが思い浮かびますが、パーリ語で「サッチャ」、サンスクリット語で「サティヤ」といいまして「事実」という意味だそうです。また、伝統的には「真理」という訳語が用いられてきました。

 「苦諦」は「一切はドゥッカである」という事実とされます。この「ドゥッカ」という語は、伝統的に「苦」という訳語が用いられてきましたが、「苦しみ」以外に「不完全である」というニュアンスでも用いられる言葉だそうです[ii]。つづいて「集諦」は「苦集諦」とも呼ばれますが、「ドゥッカは渇愛(タンハ)を原因とする」という事実とされます。この「苦諦」と「集諦」との間には、因果関係(苦諦…結果、集諦…原因)が見出せるというのがポイントとされております。

 つづいて「滅諦」は「渇愛を滅することで、ドゥッカが滅する」という事実とされます。最後の「道諦」は「ドゥッカが滅する方法は、八正道の実践である」という事実とされます。この「滅諦」と「道諦」についても、「苦諦」と「集諦」と同様に、因果関係(滅諦…結果、道諦…原因)が見出せるのがポイントとされております。

 後で再び触れることにもなりますが、青年ゴータマがブッダになった際に、何に目覚めたのかという点については、いくつかの伝承があります。その中でも、最も古い伝承とされているのが「三明を得て、四聖諦に目覚めた」というものです。「三明」とは、もともとはバラモン教の三つの聖典(三ヴェーダ)を意味しておりましたが、ブッダは「宿命通(衆生の過去を見通す力)」「天眼通(衆生の業による輪廻を見る力)」「漏尽通(もはや再生しないと知る力)」と読み替えて使っております。この最後の「漏尽通」を得たことによって、「四聖諦」に目覚めたとされているのです。確かに、『サンユッタ・ニカーヤ』の中の「バラモン相応」という箇所を開いてみますと、バーラドヴァージャというバラモン(※この箇所に出てくるバラモンは全部同じ姓です)がブッダに「三明について言ってみろ」と挑発するのですが、ブッダは自身の「三明」の定義をもってそれに答え、結果このバラモンブッダに帰依する身となります[iii]

 さて、この「四聖諦」については、従来は「四つの聖なる真理」という訳語が用いられてきました。しかし、初期仏教の専門家である榎本文雄先生が「四聖諦」の原語の使われ方を網羅的に確認したところ「聖(アーリヤ)」を「聖なる」ではなく「聖者にとっての」と訳す方が原意に即しているという説を出されました[iv]。ですから、「四聖諦」は「聖者にとっての四つの事実」と解釈するのがベターだということになります。

 ここでの「聖者」とは、勿論ゴータマ・ブッダのことですが、真宗門徒にとって七高僧でおなじみの龍樹菩薩(ナーガールジュナ)も「聖者」と見做されているそうです。一方、天親菩薩(ヴァスバンドゥ)は「聖者」とは見做されないそうです。龍樹菩薩は初地の菩薩とされますが、天親菩薩は初地に上がっていないとされているからだそうです。個人的に、天親菩薩に私淑している私としては、ちょっとショックな結果です。

 さて、私の友人のお坊さんのほとんどは、同じ浄土真宗の僧侶です。けれども、京都で一緒に働いたご縁もあって、数人の浄土宗のご僧侶ともご縁を戴いております。やや冗談めかしてではありますが、仲間うちでは件の浄土宗のご僧侶を「お上人」と呼んでおりました。余談ですが、仏教の部派(グループ)について、頭に「聖」の原語である「アーリヤ」を冠する場合があるそうです。榎本先生によれば、在家信者からみれば出家の比丘は皆「聖者」と見做されたからではないかと指摘しておりますが、その人自身が龍樹菩薩と同じ「初地の菩薩」かどうかは兎も角、同じ浄土門であっても、真宗僧侶とは異なる仏道を歩んでおられる浄土宗のご僧侶を「お上人」と仰ぐ姿勢と通底するものを感じ、なんだか不思議な感じが致しました。

 話を元に戻しますと、仏教の初心者が最初に教わるのは「一切はドゥッカである」から始まる「四聖諦」です。けれども、それを本当に認識出来るのはゴータマ・ブッダや「智慧第一」と称されたサーリプッタといったごく僅かな仏弟子、あるいは龍樹菩薩といった限られた存在だけです。私たちが、この凡夫の身のままで「一切はドゥッカである」から始まる「四聖諦」を認識するのは、限りなく不可能に近いと言わざるを得ません。

 また、後世になりますと、この「四聖諦」の認識によって得られるのは、ブッダ智慧ではなく阿羅漢の智慧とされます。勿論、この背景には「私たちが偉大なブッダと同じ智慧を得るのはおこがましい。私たちが目指すべきは仏弟子としての阿羅漢である」という仏教の部派(グループ)のなかでの受け止めの変化があります。ただし、阿羅漢ではなく、ブッダを目指す菩薩たらんとする大乗仏教徒、特に凡夫であることを出発点とする私たち真宗門徒にとって「四聖諦」を「仏教の根幹である」と素朴に受け止めることは、ちょっと無理があるのではないかとも感じる次第です。

 大乗仏教徒として、ゴータマ・ブッダの説かれた教えをどのように受け止めていくべきなのでしょうか? 難しい問いですが、皆さんと一緒に考えていきたいとも思います。

 

[i] 拙著『ニセ坊主-僧伽を思う:真宗大谷派本願寺維持財団-』響流書房、二〇一五年

[ii] ワールポラ・ラーフラ、今枝由郎訳『ブッダが説いたこと』岩波文庫、○○ページ

[iii] 中村元訳『ブッダ 悪魔との対話 サンユッタ・ニカーヤⅡ』岩波文庫、○○ページ

[iv] 榎本文雄「「四聖諦」の原意とインド仏教における「聖」」『印度哲学仏教学』二四、二〇〇九年